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裁判員制度は合憲であるとした判例(最大判平成23年11月16日)のまとめ
最大判平成23年11月16日
平成23年11月16日,最高裁判所の大法廷で,裁判員裁判は合憲であるとした判決がなされました(最大判平成23年11月16日)。
「合憲」とは,憲法に違反していないということです。つまり,上記の判決の事件は,裁判員裁判という法制度が,憲法に違反していないか(違憲ではないか)が争われていたのです。
この大法廷とは,最高裁判所長官も含めた最高裁判所の構成員である全裁判官が担当するというもので,言ってみれば,日本の制度上,最も権威のある司法判断をする裁判体です。
裁判員裁判については,賛否両論といってよいでしょう。法律業界以外の人からだけでなく,我々法律業界でも,裁判員裁判に対する評価は一律ではありません。
この判決の事件は,覚せい剤取締法違反等の事件だったようですが,上記最高裁判例においては,事件の具体的な事実関係等については判断しておらず,もっぱら裁判員裁判の合憲性についてのみ判断しています。
国民の司法参加の合憲性
第1の争点として,国民が裁判員として刑事司法に参加することは,憲法に違反しないかという点が問題となっています。つまり,憲法は専門的知識を有した職業裁判官によって刑事司法を行うことが予定されているのだから,一般国民を刑事司法に参加させることは憲法の予定していないことではないのか,という問題意識です。
この点について大法廷は,確かに,刑事被告人の権利等に関する憲法の規定や裁判所や裁判官の独立に関する憲法の規定からすれば,憲法は職業裁判官による刑事裁判を予定しているとしつつも,民主主義の発展に伴い国民の司法参加が世界的に発展してきている歴史的事実,日本でもかつて陪審制が採られていたこと,日本国憲法制定にいたる経緯などの事情からすれば,憲法は国民の司法参加を排除する趣旨ではないとした上で,国民の司法参加は一般的に禁止されていないから,それを採用するかは,憲法の諸原則に反しない限り,立法政策の問題であると判示しました。
つまり,日本国憲法は国民の司法参加を禁止していないのであるから,国民の司法参加の問題は,他の憲法の規定に反しない限り,国会が決めることだと判断したのです。
憲法31条,32条,37条1項,76条1項,80条1項違反の有無
そこで,裁判員制度の定めは,憲法の規定に違反しないのかが問題となってきます。それに関し,まず第2の争点として,裁判員制度が,憲法31条,32条,37条1項,76条1項,80条1項の各規定に違反しないかという点が問題とされています。
日本国憲法 第31条
何人も,法律の定める手続によらなければ,その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。第32条
何人も,裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。第37条
1 すべて刑事事件においては,被告人は,公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。第76条
1 すべて司法権は,最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。第80条
下級裁判所の裁判官は,最高裁判所の指名した者の名簿によつて,内閣でこれを任命する。その裁判官は,任期を10年とし,再任されることができる。但し,法律の定める年齢に達した時には退官する。
80条1項は下級裁判所の「裁判官」と規定しています。そのため,下級裁判所は「裁判官」のみで構成されていなければならないのではないかという問題が生じます。
仮に,下級裁判所は裁判官のみで構成されていなければならないとすると,76条1項により,司法権は下級裁判所に属するのですから,下級裁判所における司法権の行使,つまり,刑事裁判における事実認定・法令適用・量刑判断などは全部裁判官が行わなければならないということになります。そうすると,事実認定等を裁判官でない裁判員が行う裁判員制度は76条1項に違反するということにもなります。
また,32条は「裁判所」における裁判を受ける権利を保障し,37条は公平な「裁判所」による裁判を受ける権利を保障しているところ,仮にこの「裁判所」が裁判官によって構成された下級裁判所ということを意味するならば,裁判員による裁判は,32条や37条にも違反することになるでしょう。
加えて,そのように考えると,裁判員制度は違憲であり適正な手続ではないので「法律の定める手続」とはいえないから,裁判員制度によって刑罰を科するようなことは31条にも違反するということになります。
しかし,大法廷は,以下のような判断をしました。
まず80条1項の点ですが,下級裁判所については国民の司法参加を禁じている趣旨ではないから,裁判官と国民とで構成される裁判体がただちに80条1項の裁判所に当たらないとはいえないとして,同項の裁判所に当たるかどうかは,やはり他の規定も含めた憲法の趣旨に沿うものかどうかによって判断すべきだと判示しました。
その上で,上記判例は,裁判員制度の各規定を挙げつつ,他の憲法の規定に反するかどうかを検討しています。
ここでは,個々の条項にどのように違反していないのかということは具体的には述べられていないのですが,結論として,身分保障のある裁判官が裁判体の構成員であること,事実認定・法令の適用・量刑の意見を述べて評決に参加することには必ずしも法律的知識や経験が必要不可欠とはいえないこと,裁判官である裁判長によって裁判員が適切な職務執行できるように配慮していること,裁判官との協議によって良識ある結論に達することが十分に期待できること,刑事手続上の被告人の権利や諸原則については裁判官が判断することができるので保障されていることなどからすれば,公平な裁判所によって適正な手続が行われることは制度的に保障され,裁判官が刑事裁判の主体的な担い手であることに変わりなく,憲法の諸原則も確保されるから,31条,32条,37条1項,76条1項,80条1項には違反しないと判示しました。
憲法76条3項違反の有無
第3の争点として,裁判員制度は憲法76条3項に違反しないかという点も問題とされました。
日本国憲法 第76条
3 すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。
上記規定は,裁判官の独立を保障したものです。
問題の所在は,裁判員制度の場合,裁判員の意見や評決によって裁判官の判断が左右されることになりますから,憲法と法律以外には拘束されることのない裁判官が裁判員の意見や評決に拘束されることになってしまい,76条3項に違反しないかという点です。
この点について大法廷は,裁判員法は憲法に適合する法律であるから憲法と法律にのみ拘束されるとする76条3項に違反しないとし,裁判員制度下でも裁判官が裁判の基本的な担い手であり,公平中立な裁判が図られているから76条3項の趣旨に反することもなりと判示しました。
また,裁判員裁判だと,裁判官のみで裁判をした場合と結論が異なってしまうのは憲法に反するという批判に対しても,そのように考えると国民の司法参加の意味がなくなってしまうことや被告人の権利保障にも配慮されていることなどからすれば,その批判も当たらないとしています。
憲法76条2項違反の有無
第4の争点として,憲法76条2項違反も争われました。
日本国憲法 76条
2 特別裁判所は,これを設置することができない。行政機関は,終審として裁判を行ふことができない。
特別裁判所とは,通常の裁判所の系統に入らない裁判機関のことです。例えば,戦前の軍法会議などがこれに当たるとされます。
この点について大法廷は,裁判員制度の裁判体は地方裁判所に属すること,控訴・上告が認められていることから,特別裁判所には当たらないと判示しました。
憲法18条違反の有無
第5の争点は,憲法18条に違反しないかどうかという点です。
日本国憲法 第18条
何人も,いかなる奴隷的拘束も受けない。又,犯罪に因る処罰の場合を除いては,その意に反する苦役に服させられない。
憲法18条は,懲役刑など犯罪による処罰の場合以外には苦役に服させられない権利を保障しています。そこで,裁判員に選任された人が,裁判員として裁判に出頭しなければならないのは苦役に当たり,憲法18条に違反しないかという点が問題となります。
この点について大法廷は,司法の国民的基盤の強化という裁判員制度の趣旨からすれば,裁判員として出頭することはむしろ参政権と同様の権限を国民に与えるものであって,苦役とはいえないこと,裁判員を辞退できる場合も定められていること,旅費や日当など経済的負担を軽減する措置も講じられていることなどから,裁判員制度は憲法18条後段に違反しないと判示しました。
結論
以上のように,大法廷は,裁判員制度は憲法のどの規定にも違反しないという判断をしました。
そして,その上で,裁判員制度について,以下のとおり,裁判員制度はこれから成熟していく制度であるということを論じています。最高裁としては,まだ裁判員制度について合憲性を判定するのは時期尚早であるという考えなのかもしれません。
裁判員制度は,裁判員が個別の事件ごとに国民の中から無作為に選任され,裁判官のような身分を有しないという点においては,陪審制に類似するが,他方,裁判官と共に事実認定,法令の適用及び量刑判断を行うという点においては,参審制とも共通するところが少なくなく,我が国独特の国民の司法参加の制度であるということができる。それだけに,この制度が陪審制や参審制の利点を生かし,優れた制度として社会に定着するためには,その運営に関与する全ての者による不断の努力が求められるものといえよう。裁判員制度が導入されるまで,我が国の刑事裁判は,裁判官を始めとする法曹のみによって担われ,詳細な事実認定などを特徴とする高度に専門化した運用が行われてきた。司法の役割を実現するために,法に関する専門性が必須であることは既に述べたとおりであるが,法曹のみによって実現される高度の専門性は,時に国民の理解を困難にし,その感覚から乖離したものにもなりかねない側面を持つ。刑事裁判のように,国民の日常生活と密接に関連し,国民の理解と支持が不可欠とされる領域においては,この点に対する配慮は特に重要である。裁判員制度は,司法の国民的基盤の強化を目的とするものであるが,それは,国民の視点や感覚と法曹の専門性とが常に交流することによって,相互の理解を深め,それぞれの長所が生かされるような刑事裁判の実現を目指すものということができる。その目的を十全に達成するには相当の期間を必要とすることはいうまでもないが,その過程もまた,国民に根ざした司法を実現する上で,大きな意義を有するものと思われる。このような長期的な視点に立った努力の積み重ねによって,我が国の実情に最も適した国民の司法参加の制度を実現していくことができるものと考えられる。
刑事弁護をどうしてするのか?
Q.刑事弁護をどうしてするのか?
A.冤罪を防止の観点から,刑事手続をチェックするためである。
刑事弁護に対する誤解
刑事弁護というと,一般的には,犯罪者を擁護する仕事というように捉えられているかもしれません。
橋下大阪府知事が,光市母子殺害事件の弁護団を懲戒するように呼びかけたという問題がありましたが,これは,そういう一般的な意見を代表したものだと思います(もっとも,弁護士でもある人がこういうことを呼びかけること自体に疑問を感じますが・・・)。
もっとも,弁護士とて市民です。当たり前のことですが,犯罪を擁護するという気持ちは持っていません。弁護士になるくらいですから正義感の強い人が多いと思います。むしろ,犯罪を憎んでいるという人の方が多いと思います。
それならどうして刑事弁護などするのか,という意見があるでしょう。
しかし,刑事弁護は誰かがやらなければならない重要な仕事です。その理念の根底には,冤罪を防止するという発想があります。
刑事弁護の基本理念は,「例え100人の犯罪者を野放しにしたとしても,1人の無辜の者を有罪としてはならない」というところにあります。
先の検察官による証拠偽造事件で,国家権力犯罪者を作り出す危険性があるということが,一般にも理解されたと思います。今回は幸い未然に防止されましたが,国家権力がその気になれば,犯罪者を1人作り出すことなどさほど難しいことではないのです。
ここら辺の危機意識というものは,日常生活ではあまり意識しないことかと思います。しかし,現実にあり得る危険なのです。
それを防止するためには,1つ1つの刑事事件において,適正な捜査がなされているのか,適正な刑事手続が行われているのかを逐一チェックしておく必要があります。それが刑事弁護の役割なのです。
刑事弁護人の思い
光市母子殺害事件の弁護団も,有罪の人間を無罪にしてやろう,という意識で弁護したわけではないでしょう。ただ,法律上精神障害による心神喪失や心神耗弱の可能性があるから,裁判によってその点をはっきりさせようという意味で主張をしたのだと思います。
弁護士としては,法律的な問題点があるという可能性がある以上,それを主張すべきです。嘘をつくという発想ではありません。裁判で白黒つけてもらおうという発想です。
刑事弁護というものは,おそらくそういうものだと思います。犯罪者を擁護しようとか,無理やりにでも無罪にしてやろうという考えで刑事弁護をする弁護士はほとんどいないと思います。
ちなみに,私の友人で刑事弁護を多く経験している弁護士がこんなことを言っていました。「どうせ被告人にはほとんど味方がいないのだから,せめて自分くらいは味方になってやろうという気持ちで刑事弁護をやっている。」と。それも,刑事弁護人のマインドなのかもしれません。
少額訴訟とは?
Q.少額訴訟とは?
A.少額訴訟手続とは,請求金額が60万円以下の少額金銭請求事件に限り,迅速な紛争解決のために,手続を大幅に簡易化した訴訟手続のことをいう。
少額訴訟とは
少額訴訟手続とは,請求金額が60万円以下の少額金銭請求事件に限り,迅速な紛争解決のために,手続を大幅に簡易化した訴訟手続のことをいいます。
少額訴訟では,文字どおり,扱われる対象が60万円以下の金銭請求に限られています。したがって,金銭請求ではない事件や金銭請求であっても60万円を超える請求の事件では,少額訴訟を利用できません。
また,手続は,原則として1期日で終了します。1日で判決までなされるのが通常ですが,和解の見込みがある場合などはもう1期日行われることもあります。
しかし,1期日で審理を終えるということは,1日で主張立証をすべて整理して証拠調べまでしなければならないということです。そのため,提出できる証拠は即時に取り調べられるものに限られます。
即時に取り調べることができる証拠とは,原則として,書面を意味していると考えてよいでしょう。証人が必要となる場合は,当日に連れていって証言してもらわなければなりません。
また,1期日で終了ですから,当事者の側からすれば,その日までに主張立証を尽くさなければならないということです。
少額訴訟は,その少額訴訟をした裁判所に異議申立てはできるものの,上級審への控訴は認められていません。そのため,上級審へ控訴する権利を保障する観点から,相手方(被告)は,少額訴訟を拒絶することができるとされています。被告が少額訴訟を拒絶すると,事件は通常の訴訟事件に移行します。
少額訴訟の注意点
少額訴訟は,手続が簡易であること,原則1回の期日で終了することなどのメリットがあります。
しかし,デメリットがないわけでもありません。1回の期日で終了するということは,その期日までに主張と立証を尽くさなければならないということです。したがって,当事者としては,それまでに証拠をすべて提出しなければなりません。
少額訴訟は,「1回で終了」するにすぎません。「1回で勝訴」できるわけではないのです。簡易化されているとはいえ,訴訟である以上,証拠がなければ敗訴します。つまり,証拠がそろっていなければ「1回で敗訴」してしまう危険性もあります。
しかも,少額訴訟では控訴が認められていません。少額訴訟をしたのと同じ裁判所に対して異議申立てをすることができるというだけです。そのため,少額訴訟で敗訴した場合,違う裁判所で判断してもらうということができないのです。
したがって,単に簡単で迅速そうだからという理由だけで少額訴訟を選択するのは危険な場合もありますので,注意が必要です。
また,事実や証拠が複雑で,1日で審理することが困難であるような場合には,裁判所が職権で,事件を通常訴訟に移行させるということもあります。
本人訴訟の増加と弁護士費用
本人訴訟の増加
本人訴訟とは,弁護士等に訴訟代理人業務を依頼せずに,当事者が自ら訴訟を提起し遂行する場合のことをいいます。
最高裁判所の集計によれば,平成22年度の本人訴訟の割合は,民事訴訟全体の7割に増加しているとのことです。
本人訴訟増加の要因
司法制度改革により,法テラスが設立されたり,弁護士の大幅増員が図られているにもかかわらず,弁護士を利用しない本人訴訟が増加しているというのは皮肉な話です。
その要因にはいろいろなものがあるかと思います。
新聞記事などによれば,要因の1つとして,弁護士報酬の敷居が高いということが挙げられています。耳の痛いところですが,それは現実問題としてあるのでしょう。
もっとも,弁護士増員や弁護士報酬の自由化などにより,以前に比べて大幅に弁護士報酬は下がっていると思います。したがって,それのみが本人訴訟増加の要因とは言えないと思います。
とはいえ,弁護士報酬という点は検討課題だということは間違いないでしょう。筆者の事務所でもなるべく利用しやすいような報酬設定にしようとは心がけています(現実問題としてなかなか難しいところはあるのですが…)。
もう1つの要因としては,本人訴訟のための情報が,以前に比べて圧倒的に充実してきているということが挙げられます。
現在では,インターネットや書籍などで,本人訴訟をするための知識や手続をかなり詳しく紹介しているものが,続々と登場してきています。
これらの情報を活用すれば,難解な訴訟でなければ,本人訴訟をすることが十分に可能となってきています。また,そのような情報を活用する技術やノウハウが,一般にも浸透してきているのではないでしょうか。
司法制度改革と本人訴訟増加
本人訴訟が増加しているという事実に対しては,われわれ弁護士の側も謙虚に受け止めなければならないと思います。
しかし,このような事実に照らしてみると,はたして弁護士を大幅に増員しようという司法制度改革が,はたして本当に妥当だったのか?という疑問が生じてきます。事実だけみると,妥当ではなかったと言ってよいように思えてしまいます。
司法制度改革についても,再検討が必要な時期に来ているのだと思われます。
調書主義と証拠偽造の関係は?
Q.調書主義と証拠偽造の関係は?
A.調書主義により証拠全般への軽視の態度が生まれ,それがエスカレートして,捜査機関が想定したストーリーに沿った証拠を偽造するような風潮が生まれたのではないか,という意見がある。
調書主義の弊害
現行の刑事訴訟においては,捜査機関側が作成する供述調書に非常に強力な証拠能力を認める場合が少なくありません。
特に,検察官が作成する検察官調書や被告人が自分に不利な内容を供述した場合の自白調書などに強力な証拠能力が認められる場合が多いです。
この調書を重視する裁判の運用を揶揄して,調書主義と呼ぶ場合もあります(調書主義などという正式な法律用語はもちろんありません。)
もっとも,それだけに,万が一この調書が事実に沿わない内容であったとしたら,冤罪が発生してしまう危険性が非常に大きいのです。
逆に言えば,捜査機関側とすれば,捜査機関が想定しているストーリに沿った調書を作成し,それを証拠として提出すれば,思い描いたとおりの判決が下される可能性が高いということになります。
証拠偽造と調書主義
昨年,大阪地方検察庁特捜部の前田恒彦主任検事の証拠偽造問題が発覚し,同検事が証拠偽装罪として起訴されるという大事件が発生しました。
この問題については,さまざまな意見が識者の方々によって述べられています。そのうちでも,上記の調書主義との関連性を述べる意見について,個人的に興味深く,というだけでなく少なからずそのようなこともあり得るだろうと感じました。
つまり,調書主義によって,捜査機関は,自分たちの想定しているストーリーを追い求め,それに沿った調書を作成することに多くの労力を割くことになります。その結果として,威嚇的・策略的な取り調べが行われる危険性が生じます。
多くの(というよりほとんどの)捜査機関関係者はそのような取調べをしていないと思いますし,現に,筆者も経験上(たいした経験ではないのですが)そのような取調べがあったという話は直接には聞いていません。
しかし,捜査機関の人といっても人間ですから,そのようなことがあり得ないとも思えません。
そして,調書を過剰に尊重されることにより,捜査機関の想定したストーリーが裁判でも認められることが増えることになり,それにより,捜査機関が,自分たちの想定するストーリーが常に正しいという誤解を生じてしまうというおそれが生じます。
捜査機関の側において,そのような自分たちの想定したストーリーが常に正しいという認識が生じると,証拠に対し,自分たちのストーリーが常に正しいのだから,それに沿った証拠を作りだせばよいという誤解や偏見が生じる可能性がないとはいえないでしょう。
つまり,証拠軽視の態度が生じる恐れがあるというわけです。
前記の調書主義は今回の証拠偽造と因果関係があるという意見は,まさにそのような調書主義から生まれてきた証拠軽視の態度が,最も顕著な形で現れたものではないか,というものなのです。
一見すると極端な意見とも思えないでもありませんが,過去の冤罪事件や今回の証拠偽造事件をみてみると,あながち全く的外れな意見であるとはいえないように感じます。
あるいは,そろそろ,我が国おいても,取調べの可視化や第三者機関による捜査機関の監督といったような制度の導入が必要な時期に来ているのではないかと思うのです。
刑事訴訟における調書と民事訴訟における陳述書の違いとは?
Q.刑事訴訟における調書と民事訴訟における陳述書の違いとは?
A.民事訴訟における陳述書よりも,刑事訴訟のおける調書の方が,証拠として重要視される傾向があるという違いがある。
刑事訴訟における調書と民事訴訟における陳述書
前回に引き続いて大阪地方検察庁特捜部の前田恒彦主任検事の証拠偽造問題を考えるために,刑事裁判の具体的な仕組みついての説明を続けていきます。
前回説明したように,刑事訴訟では,警察官や検察官が作成した「調書」が証拠として用いられることが多くあります(というよりも,ほとんど。)。
これは,警察官や検察官が,被疑者・被告人や関係者・証人などを取り調べて聴取したことを書面化したものです。供述者は,その話をした人本人ですが,調書を実際に作成するのは警察官や検察官ということになります。
一方,民事訴訟でも,この調書のように,当事者や関係者・証人などから聴取したことを書面化したものを証拠として提出する場合があります。一般に,「陳述書」と呼ばれています。
これも,刑事訴訟における調書と同様,陳述者は話をした人ですが,弁護士が代理人となっている場合は,実際に陳述書を作成するのは弁護士です。
調書と陳述書の相違点
上記のとおり,刑事訴訟における調書と民事訴訟における陳述書とは,ある人の話したことを書面化したものdであるという共通点があります。民事訴訟において弁護士が代理人となっている場合には,実際に作成するのは別の人であるという点についても,共通しています。
しかし,証拠としての重要性には大きな違いがあります。
これらは,実際に話をしたことをそのまま書面化するわけではなく,ある程度整理して書面化するため,作成者の主観や評価が入り込む危険性がありますし,有利な点ばかり書かれている場合もあり得ます。
そのため,民事訴訟では,陳述書が証拠として提出されることはあっても,あまり証拠として価値あるものとして取り扱われることがなく,陳述書だけで事実認定がなされるということはあまりありません。大半の場合,陳述者の本人・証人尋問が行われることになります。
刑事訴訟の場合でも,調書の内容に争いがあるときは,やはり尋問がなされますが,調書の信用性を崩すような供述が尋問で出てこない限り,調書の内容に信用性があると判断されてしまいます。
つまり,民事訴訟の場合,陳述書は,争点をまとめる又は尋問の中心となるのはどこになるかを明確にするという意味が強く,証拠としての価値をほとんど認められない場合が多いのに対して,刑事訴訟の場合には,調書が主要な証拠をとなってしまうという違いがあります。
しかし,上記のとおり,調書や陳述書は書き方によってはどのようにでもとらえられるように書くことが可能です。これをあまり重要視しすぎるべきではないように思います。
刑事の場合には,調書は密室の取調べの場において作成されるものですから,捜査機関の思惑どおりに調書を作ることが可能です。
その点からすれば,少なくとも犯罪事実に争いがある場合には,調書をあまりに重要視しすぎるべきではなく,民事の場合のように,争点をまとめたり尋問の中心を明確にするという意味以上の価値をもたせて取り扱うべきではないと思われます。
刑事訴訟における調書の功罪とは?
Q.刑事訴訟における調書の功罪とは?
A.裁判の迅速化に資するというメリットがある。しかし,自白偏重につながるおそれがあり,強要による自白取得などの人権侵害や虚偽自白の誘発による冤罪の発生などの重大な弊害が生じる危険性もある。
調書
前回に引き続いて大阪地方検察庁特捜部の前田恒彦主任検事の証拠偽造問題を考えるために,刑事裁判の具体的な仕組みついての説明を続けていきます。
これまで説明してきたように,刑事訴訟においては,犯罪事実の立証責任は検察官に課されており,その事実は証拠によって認定しなければならないという証拠裁判主義がとられています。
したがって,被告人を有罪とするためには,検察官が,犯罪事実を主張し,その犯罪事実について証拠を集めなければなりません。
そして,その証拠として,実務上,もっともよく用いられるのが「調書」です。
調書とは,警察官や検察官が,被告人または関係者等を取り調べて,その人たちから聴取したことを書面化したものをいいます。
警察官が作成したものは「警察官調書」とか「司法警察員面前調書(員面調書)」とか呼ばれ,検察官が作成したものは「検察官調書」とは「検察官面前調書(検面調書)」とか呼ばれます。警察官調書はKS,検察官調書はPSなどと呼ばれるときもあります。
また,調書のうちでも,被告人本人が犯罪事実など自分に不利益な内容を自ら告白したものを記載した調書のことを「自白調書」といいます。
調書のメリット
調書は,取り調べた内容をまとめたものです。それだけに,内容が整理されているため,いざ裁判となった場合に,裁判所も内容をとらえやすく,裁判の迅速化につながることは間違いないでしょう。
迅速な裁判は憲法でも要請される重要な権利です。しかし,はっきり言ってしまうと,調書のメリットはおそらくこれくらいです。
調書のデメリット
これに対し,調書のデメリットは少なくありません。
調書というものは,例え取調べの内容を記載したものだとはいっても,作成しているのは警察官や検察官です。供述した人が言ったことがそのまま記載されるわけではありません。
そのため,作成者の主観や評価が入り込む余地が十分にあります。その結果,供述者が意図していたものとは全然違う文脈で調書が作成されてしまうことは,多分にあり得ます。
また,今回の証拠偽造事件が示すとおり,警察官や検察官がその気になれば,いくらでも自分たちの好きなように調書を作成することが可能になってしまうのです。
もちろん,そのようなことを防ぐため,調書には供述者本人の署名・押印が必要とされます。しかし,署名や押印を強制される場合もあり得ますし,内容によっては,わざと素人では分かりにくいような文章が作成されたため,意図する内容では無いと気付かずに署名押印してしまうような場合もあり得ます。
いったん署名押印し,調書として成立すると,当然,裁判でも有力な証拠として採用される可能性があるということになります。
特に,検察官調書は,弁護人側が証拠とすることに同意しない場合でも,被告人が署名・押印したということだけで証拠として採用されてしまい,しかも,有罪判決の主要な証拠として使われてしまします(安易に採用してしまう裁判所も問題なのでしょうが・・・)。
刑事訴訟法では,このような調書類は「伝聞証拠」と呼ばれ,証拠とすることに対して厳しい規制が設けられているのですが,実際の刑事訴訟では,調書はほとんどの場合に証拠として採用されているというのが実情です。
自白調書については,自己に不利益な供述をしたのだから信用性が高いということで,伝聞証拠の規制は緩められ,原則として証拠として採用されてしまいます。
この自白調書の信用性を争うのはかなり大変なことです。つまり,自白調書の内容に信用性があるものとして,その内容に沿った判決がくださてしまうおそれがあるのです。
実務では,このように調書というものが,とてつもなく重要な証拠として取り扱われています。そのため,警察や検察などの捜査機関は,この調書,特に自白調書を作成することに多くの労力が割かれることになります。
その結果,自白をとるということは捜査機関側では1つの名誉とされ,多くの自白をとる人は「ワリ屋」などと呼ばれて尊敬を集めるそうです(前田検事も「ワリ屋」だったそうですね。)。
しかし,自白を偏重するというのは実は危険なことです。自白をとるために,強要,脅迫,偽計などによる取調べが行われる可能性があるからです。ひいては,虚偽の自白が誘発され,裁判で真実が明らかにされなくなってしまう,つまり冤罪を生み出すというおそれがあるのです。
調書の功罪
調書は,確かに裁判の迅速化に資する面はあります。しかし,調書を信用し過ぎると,上記のような弊害も多く生じるのです。
被告人が真意で自白しているような事件であれば,調書というのは有用な面があるでしょう、しかし,被告人が犯罪事実そのもの,つまり無罪を争っているような場合には,やはり,刑事訴訟法の原則にもどって,調書ではなく,弁護人からの反対尋問が行われる訴訟上での尋問・質問を原則とすべきなのではないかと思います。





